山田もち店YAMADA MOCHI TEN

THIRD GENERATION

三代目の想い

陣屋前朝市で始まった餅づくりを、家族が受け継いできました。現在は三代目として、山田裕紀が店に立ち、田んぼと朝市、そしてお餅づくりに向き合っています。

山田もち店三代目 山田裕紀

CHAPTER 01

料理が好きになった原点

山田もち店は1975年創業。私は三代目です。子どもの頃、両親は田んぼと朝市の仕事で毎日忙しく、決まった休みもありませんでした。学校から帰ると家にある食材で料理を作ることが多く、小学2年生の頃に初めてチャーハンを作りました。帰宅した家族が「おいしい」と喜んで食べてくれたことが嬉しく、それが料理人を目指すきっかけになりました。

CHAPTER 02

名古屋で学んだ12年間

18歳で料理の専門学校へ進学。イタリア料理店で働きながら料理を学び、その後ダイニングバーやフレンチビストロで料理長を経験しました。料理だけではなく、商品開発、接客、店舗運営、ブランドづくり、お客様へ価値を届ける考え方など、多くのことを学びました。この経験は今の山田もち店の土台になっています。

CHAPTER 03

飛騨高山へ戻る

2020年、新型コロナウイルスの影響で飲食店の先行きが見えなくなった頃、父が手術を受けることになり、田んぼを続けることが難しくなるかもしれないという連絡を受けました。以前から家族に「いつか帰ってきてほしい」と言われていたこともあり、高山へ戻ることを決意しました。

CHAPTER 04

家業を継ぐ決断

最初は家業を手伝いながら、再び料理人として働くことも考えていました。しかし久しぶりに家族と仕事をする中で、親が年齢を重ねていること、そして料理人として外の世界で学んだからこそ、もっと山田もち店の魅力を伝えられる。もっとブランドとして成長できる。そんな想いが強くなり、家業を継ぐことを決めました。

CHAPTER 05

もう一度、外の世界で学んだこと

家業に携わった後も、地域の飲食事業において店舗の立ち上げや運営、商品開発、ブランドづくりなどに携わる機会がありました。飲食店経営を通して、「商品を作ること」と「ブランドを育てること」は違うということを改めて学びました。また、自分自身の未熟さや実力不足を痛感する経験もありました。その経験を経て、人生をかけて挑戦するなら、自分の家業をもっと魅力あるブランドに育てたい、という想いがより強くなりました。

CHAPTER 06

山田もち店の未来

私が目指しているのは、家族が受け継いできた餅づくりを、これからの暮らしへつないでいくことです。祖父や父が守ってきたものを大切にしながら、今の時代だからこそ届けられる価値を加え、飛騨高山を代表する餅ブランドへ育てていきたいと考えています。旅先で食べたお餅が、家に帰ってからも旅の思い出として残る。贈り物として届いたお餅が、人と人をつなぐきっかけになる。そんな存在になれるよう、これからも家族で餅づくりを続けていきます。

料理人時代の山田裕紀
山田もち店で餅を均一に伸ばして整える手仕事
アップルパイを作る山田裕紀

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思い出に残るお餅を。

この仕事に込めた想いを、ひとつひとつのお餅にのせてお届けします。

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